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【大阪メトロ】大阪市高速電気軌道【Osaka Metro】避難所

  • 1 名前: 名無し野電車区 2021-12-03 21:43:02 ID:4YzBhYWMw

    ご自由にお使い下さい。
    荒らしや不適切な書き込みは削除致します。
    政治的な対立を煽る発言もお控え下さい。

  • 71 名前: BMCW 2022-10-04 14:13:46 ID:iYmFlNzY0

    色々と書いてきましたが、首都圏の大手私鉄各社とJR東日本は直接、または東京メトロや
    都営地下鉄を介して、自然なルートで改札口を一度も出ることなく行き来することが出来ます。

    一例として、
    京急、京成・・・・・・・・・・・・・八丁畷経由(ICカードは簡易改札機にタッチ)
    小田急、東急、東武伊勢崎線系統・・・北千住経由
    西武、東武東上線系統・・・・・・・・池袋、大手町、北千住経由
    (淡路町〜大手町〜新御茶ノ水を経由しても折り返し乗車扱いにはなりません)
    京王・・・・・・・・・・・・・・・・九段下、大手町、北千住経由
    相鉄・・・・・・・・・・・・・・・・羽沢横浜国大経由

    また相鉄を除く大手私鉄同士も、メトロに乗り入れる社同士、都営に乗り入れる社同士で
    あれば、自然なルートで改札口を一度も出ることなく行き来することが出来ます(東急は
    両社に乗り入れ)。「メトロに乗り入れる社」と「都営に乗り入れる社」を上記の条件を
    満たして行き来するのは、場合によってはかなり遠回りになる場合もます。

    数年前までは下北沢で小田急と京王井の頭線は改札なしで接続していましたので、九段下の
    壁が撤去される前から自然なルートで京王とJRは行き来が出来ていました。また相鉄は大和で
    小田急と改札なしで接続されていたので、JRまで改札なしで行き来できていました。もっと前
    の時代だと更に多くの「改札なしでの接続駅」がありましたが、際限ないので省略します。
    (小田急関連だと厚木も現在では磁気も含めた連絡改札機が設置されています)

    関西圏では前述のように、JRと大手私鉄の改札なしでの接続駅は近鉄柏原、吉野口、南海
    りんくうタウンだけと思われます。

    1067mmの続きですが、京急逗子線は金沢八景駅 - 神武寺駅間の上り線において1435mmと
    1067mmの三線軌条になっています。大阪市営地下鉄の車両も東急車両製の車両がいますから、
    この区間を経由して大阪に回送されたと思われます。京急と大阪市営の車両が並んでいる
    写真も見たことがあります。

  • 72 名前: BMCW 2022-10-04 14:44:21 ID:lNmZiNTY5

    「磁気券や非自動券は無改札」と書いている各項目ですが、駅によっては
    私鉄側の社員によるチェックがある場合もあるので「磁気券や非自動券は
    無改札の場合も」に訂正しておきます。その上で、>>39にて五井での小湊
    鉄道との接続を忘れておりました。

  • 73 名前: BMCW 2022-10-04 15:37:51 ID:lNmZiNTY5

    粟生駅は1枚の磁気乗車券で神鉄〜JRまたは神鉄〜JR北条を行き来する場合に限り、
    神鉄用の自動改札機が連絡改札としての意味を成すことになります。

    今春より無人駅となり、JRと北条の駅舎内であれば乗車券を所持することなく
    入ることが出来るようになりましたので、神鉄利用時に関しては連絡改札口の
    ある駅や共同使用駅としては見なしてきませんでしたが、実際はそれらの範疇
    に入ることになります。

    関西圏で磁気乗車券にも対応し、ドアのある連絡自動改札機が設置されている
    JR〜私鉄の接続駅は鶴橋と粟生ということになります。粟生でICを用いてJRと
    神鉄を乗り継ぐ場合は、各々の改札機にタッチする必要があります。

  • 74 名前: BMCW 2022-10-08 17:49:11 ID:iNDVkOWMy

    「東京メトロや都営地下鉄に直通する鉄道」と改札なしで接続する鉄道や
    「東京メトロや都営地下鉄に直通する鉄道」への連絡乗車券を発売を発売している鉄道では、
    「東京メトロや都営地下鉄」まで有効な連絡乗車券の発売はないか、あっても少ないと思われますが、
    発売がない場合でもこれらの乗車券を持った旅客が「東京メトロや都営地下鉄」の線内まで
    来ることは推測されます。

    一例として、
    ・わたらせ、上毛、JR只見線、会津、野岩→東武伊勢崎線系→メトロ
    ・秩父→西武、東武東上線系→メトロ
    ・JR御殿場線→小田急線→メトロ
    ・ひたちなか、鹿島臨海、流鉄→JR常磐線→メトロ
    ・新京成、芝山、JR南武支線→京成or京急→都営
    ※JRとメトロが直接的に接するパターンは常磐線、中央線、総武線
    系統かつ、比較的近距離のものに限定します

    首都圏では連絡乗車券(きっぷ、定期券)は非常に多くのパターン(経由社、経由駅)が発売されています。
    大阪では阪急と繋がりのある能勢電、神戸高速、山陽、神鉄から天神橋筋六丁目までの連絡きっぷが発売されています。

    近鉄と繋がりのある他鉄道から生駒の「連絡改札」を越えることが出来る連絡きっぷは、阪神と京都市営地下鉄でのみ
    発売されていますが(京市交では天理までのきっぷを購入)、大阪地下鉄まで有効な乗車券は発売されていません。

    定期券ではより多くの社から天神橋筋六丁目若しくは阪急の途中駅まで購入することが出来ます。
    https://www.hankyu.co.jp/pdf/ticket/traveler/12_renraku.pdf

    生駒の「連絡改札」を越えることが出来る連絡定期券は阪神、京阪、南海で発売されています。
    ただし、大阪地下鉄まで有効な乗車券は発売されていません。
    そもそもこれらの3社から大阪地下鉄へは、他駅で接続する連絡定期券が発売されています。

  • 75 名前: BMCW 2022-10-08 17:50:13 ID:iNDVkOWMy

    鎌倉駅や高尾駅は私鉄を利用する場合に、JRの改札内を通行することが出来ます。
    厚木ではJRを利用する場合に、小田急の改札内を通行する必要があります。

    少し前まで新宿から小田急や京王に乗車する場合は、JRの中央東口の改札を入り、JRの改札内を
    経由して、各々の社の連絡改札口まで行くことが出来ていました。降車時は逆ルートです。

    小田急・箱根登山小田原駅や近鉄京都駅も以前はJRの改札内を通行する必要がありました。
    大和駅では小田急の定期券で相鉄の改札口や改札内を通行することが出来、

    同様に相鉄の定期券で小田急の改札口や改札内を通行することも出来ます。
    高崎(上信)、伊勢崎(東武)、武蔵小杉、菊名(東急)、伊勢崎、栃木、佐野(東武)も
    JRと無改札で接続しておりました。熊谷(秩父)は国鉄時代のうちに分離されました。

    国鉄・JRと私鉄の共同使用駅は、国鉄・JRの路線が当初から国鉄(鉄道省など前身の時代も含む)
    だった、若しくは共同使用駅となった時代には国鉄だった駅もあれば、後の時代に私鉄の国有化に
    よって国鉄の路線となった駅もあります。

    首都圏は色々と複雑すぎました。その上、連絡乗車券や他社区間のみの乗車券の発売もあったので
    精算業務はかなり煩雑なものになったと思われます。以前は首都圏のみならず、連絡乗車券が広範囲で
    または多くの社局が関係する形で発売されていました。

  • 76 名前: BMCW 2022-10-08 18:06:51 ID:iNDVkOWMy

    かつて関西にあった標準軌のネットワーク(社名は現在の社名で記載)
    1)山陽~神戸市電~阪神(国道線)~阪神(本線)~阪急(能勢電含む)~大阪市電~阪堺
    2)叡山~京都市電~京阪(大津線)~京阪(京阪線)~近鉄(標準軌)
    3)京福~愛宕山

    ※1)に関しては、すべてが同時代に接続されていたかどうか不明です
    ※大阪市電と京阪は平面交差していたが、車両の行き来は不可能だった
    ※京都市電と京福も平面交差していたが、車両の行き来は不可能だった

    大阪市営地下鉄は車庫や工場内も含め、市電との接続はなかったようです。

    現在は、
    1)山陽〜神戸高速から
     →阪急(能勢電含む)〜大阪地下鉄堺筋線
     →阪神〜近鉄(標準軌)〜大阪地下鉄第三軌条線および北大阪急行、京都市営地下鉄烏丸線
    2)長堀鶴見緑地線〜今里筋線
    3)京都市営地下鉄東西線〜京阪大津線

    といった繋がりがあります。
    神戸市営地下鉄は北神急行が市営となってからは他社との接続がありません。
    叡山は京阪と結ばれる可能性がありましたが、実現していません。

    今里筋線が正雀、岸辺、千里丘方面に進む場合、ルート次第では
    堺筋線の東吹田車庫との連絡線が出来るかもしれません。

  • 77 名前: BMCW 2022-10-10 15:03:13 ID:wNjQzMTVj

    東武日光線と国鉄日光線は共に東武日光軌道線と接続があり、
    また東武熊谷線や矢板線も各々国鉄と接続していましたね。

    国鉄日光線は鶴田にて東武大谷線と接続していました。

  • 78 名前: BMCW 2022-10-18 01:19:28 ID:3MWYzYjQ1

    ここまで見て来たように、首都圏では特に過去の時代において、直通運転に関係するもの以外でも
    相当数の国鉄/JRと私鉄の共同使用駅がありました。特に東武鉄道はほとんどの国鉄/JRとの接続駅が
    共同使用駅だったことになります。このような事情ゆえに首都圏では自動改札機の本格的な導入が遅く
    なったものと思われます。自社路線だけでクローズされ、共同使用駅のない横浜市営地下鉄は1972年
    (昭和47年)の開通時から自動改札機が全駅に設置されていました。

    しかしながら、JR東日本はSuicaを自社路線限定でスタートさせていたことを考えると、磁気乗車券や
    自動改札機も自社路線限定で導入することは可能だったと思われます。或いは磁気乗車券や自動改札機を
    導入していない会社に対しても、磁気の連絡乗車券を発行することは可能だったでしょう。

    改札口を経由しての乗り換えとなる横浜市営地下鉄〜国鉄や他鉄道への連絡定期券は、少なくとも横浜
    市営側で発売されるものは当初から磁気で発売されていたことでしょう。

    国鉄の労働組合が自動改札化に反対したという話は聞かれますが、そもそも昔は労働争議が盛んでした
    から、首都圏の私鉄や公営でも反対の動きがあったのかもしれません。それに対して横浜市営地下鉄は
    新規の開業なので、改札の合理化という形にはなりません。

    また、首都圏は乗客の数が多すぎて当時の自動改札機では処理能力が足りなかったと言われますが、
    大阪の阪急梅田駅や御堂筋線梅田駅は、新宿などを除けば首都圏のほとんどの駅よりも乗降客数が多く、
    特に後者は今よりも改札口の幅員が現在の半分しかなく、非常に混雑していたものの1980年頃には自動
    改札化されていたので、1970年代中盤までならともかく80年頃だと処理能力もそれなりになっていたの
    ではないでしょうか?

  • 79 名前: BMCW 2022-10-18 01:20:15 ID:3MWYzYjQ1

    関西においても、近鉄や南海のように国鉄/JRとの共同使用駅が多い鉄道は、自動改札機を導入していても
    導入率が低い傾向にありました。加えて両社は閑散区間も抱えており、近鉄は現在でも磁気自動改札機が
    完全に導入されている訳ではありません。

    阪急や阪神は国鉄との連絡運輸はあったものの共同使用駅はなく、国鉄の乗車券が改札口を経ずに自社
    まで入って来る経路としては粟生経由で神鉄に乗り換え、更に阪急や阪神に至るものが想定されますが、
    そのような乗車をする人はほとんどいなかったと思われ、それも早期の自動改札化に繋がったものと思
    われます。両社と改札なしで結ばれている山陽電鉄や神戸電鉄では80年代後半以降でも有人改札の駅が
    ありました。

    京阪、近鉄、南海では今でもJRとの連絡きっぷを発売しています。JRもこれらの会社に対して連絡きっぷを
    発売しています。一方で阪急や阪神から国鉄へは70年代後半の時点でも発売がなく、一部の国鉄駅から阪急や
    阪神に対して一方的に発売される形のみとなっており、今年3月をもって障がい者の方が利用するものを除き、
    きっぷでの連絡は終了しました。

    首都圏の国鉄/JRと私鉄の共同使用駅は、JR東日本においてのSuicaの導入や更にSuicaとPASMOの相互利用の頃に
    順次分離されて行きました(連絡改札口を設置する or 完全に別々の駅にする)。ローカル駅では乗り換え経路
    上に簡易改札機が設置されました。Suicaが自社だけで使われる分には良いですが、PASMOと相互利用する上では
    経路を確定させる必要性があるからと思われます。分離作業は同時期に行われていた駅舎の改築や高架化などと
    併せて実施された駅もあります。

  • 80 名前: BMCW 2022-10-18 07:27:07 ID:4YWFmZTQ0

    JR西日本が関西圏で自動改札機の本格導入に乗り出したのはJR東西線の
    開業を控えた1996年度後半です。当初は国鉄時代に片町線で導入された
    機種を交換する形で新機種が設置されて行きました。また大正駅も大阪
    ドームの開業に呼応する形で、他駅よりも早く自動改札になりました。

    乗車券に付いては、定期券は以前から磁気仕様のものが使用されていま
    したが、きっぷの方は上記した時代までは裏が白いものばかりでした。
    京阪、近鉄、南海への連絡きっぷも非磁気でしたから、これらの私鉄の
    自動改札機設置駅では、誤投入もあったものと思われます。これら3社の
    中では京阪(大津線や鋼索線除く)が最も自動改札機の設置率が高かったと
    思います。

    またJR各社が長距離券をも自動改札に対応するようになったのは、90年代
    末頃であり、それに併せて新幹線でも自動改札機が登場しました。よって
    1990年代は自動改札機が登場しても、自動改札機を通れない乗車券類は今
    よりも多くあった=有人改札に頼る比率が高かったということになります。

  • 81 名前: BMCW 2022-11-05 00:19:13 ID:0OGU1NmZh

    2001年に東急から出された2枚投入できる自動改札機に関するリリースです。
    https://www.tokyu.co.jp/file/011025.pdf

    >【前提】入場時の乗車券が当社線および営団線または都営線まで有効であること。

    >※次の乗車券を「パスネット」カードと組み合わせて、のりこし精算する場合は、
    > 精算機での精算が必要になります。
    >・営団地下鉄、都営地下鉄の金額式回数券
    >・他社から営団地下鉄もしくは都営地下鉄への連絡きっぷ

    ということは、東急と無改札で隣接する営団や都営を挟み、更に先にある事業者の定期券でも、
    営団・都営に至るものならば、東急の下車駅の改札機にパスネットと同時投入することで精算
    できていたということになります。
    (例:東武線〜営団線の途中駅までの定期券を所持して東急の駅で下車)

    ただし「営団線または都営線まで有効」という範疇に、営団・都営との共同使用駅まで有効な
    各社の定期券も含まれるのかは不明です。
    (例:北千住までの東武線の定期券を所持して営団線経由で東急の駅で下車)

    上記したような仕様が営団・都営でも踏襲されていたのかは分かりませんが、仮に踏襲されて
    いたとすると「営団・都営と無改札で隣接する事業者」を挟み、更に先にある事業者の定期券でも、
    「営団・都営と無改札で隣接する事業者」に至るものならば、営団・都営の下車駅の改札機でパス
    ネットとの併用で精算できていたことになります。
    (例:野岩線〜東武線の途中駅までの定期券を所持して営団の駅で下車)

    ただし「営団・都営と無改札で隣接する事業者まで有効」という範疇に、「営団・都営と無改札で
    隣接する事業者」との共同使用駅まで有効な各社の定期券も含まれるのかは不明です。
    (例:新藤原までの野岩線の定期券を所持して東武線経由で営団の駅で下車)

    一応、営団の後身、東京メトロの案内です。
    https://www.tokyometro.jp/ticket/guide/double/index.html

  • 82 名前: BMCW 2022-12-02 18:19:32 ID:0OGNmZDFm

    相鉄車両の機関車牽引による東急線への搬入は、他のページによると
    厚木→相模貨物(機回し)→東海道線・同貨物線→川崎貨物(機回し)→南武線・尻手短絡線
    →新鶴見→八王子(機回し)→長津田の経路が使われたようです。編成の向きが新横浜線経
    由で東急に乗り入れる時と同じになるよう、このような経路になったそうです。

  • 83 名前: BMCW 2022-12-08 08:05:38 ID:zNjQ2YTA1

    自分が前項で参照したのとは別のページにも経路の解説が
    出ていましたので、リンクしておきます。
    https://hiyosi.net/2022/04/19/kohoku_chiikigaku2021-5/

  • 84 名前: BMCW 2022-12-25 13:32:52 ID:2NDQ1YmI1

    >>80
    >またJR各社が長距離券をも自動改札に対応するようになったのは、90年代
    >末頃であり、それに併せて新幹線でも自動改札機が登場しました。よって
    >1990年代は自動改札機が登場しても、自動改札機を通れない乗車券類は今
    >よりも多くあった=有人改札に頼る比率が高かったということになります。
    と書きましたが、

    現在では1990年代当時に有人改札に頼る傾向が高かった「長距離乗車券」の多くが磁気乗車券となり、
    他方1990年代当時は磁気乗車券だった「近距離のきっぷや定期券」の多くがICに移行する形となったため、
    在来線の自動改札機の中に通す形で利用する乗車券の種類は大きく変わったものと考えられます。
    (「近距離のきっぷや定期券」が主体から「長距離乗車券」などが主体へ)

  • 85 名前: BMCW 2023-05-18 00:41:52 ID:zYjY3Y2Jl

    かなり久しぶりの投稿となりましたが、武蔵境駅もかつては国鉄・JRと西武の共同使用駅となっていました。
    分離されたのは2004年とのことです。

  • 86 名前: BMCW 2023-05-18 08:21:33 ID:3MjBiOWE0

    分倍河原、国分寺、馬橋、松戸も国鉄/JRと私鉄の改札内が共通となっていました。馬橋は国鉄時代の分離です。
    路線図を見ていたらふと思い出しました。

    国鉄/JRと東武の線路の接続に関しては、越生、小川町、佐野に関しては確認が取れていません。

    また何かの拍子に色々と思い出すと思います。

  • 87 名前: BMCW 2023-05-18 11:04:55 ID:mMDU3MmQx

    高尾(京王)、栗橋(東武)、天王寺(南海)もかつては国鉄/JRとの
    共同使用駅でした。現在の高尾は連絡改札口で両社が仕切られています。
    ただし、京王を利用する際にJRの改札内を通るパターンは今もあります。

    阪和線が南海の路線だった時代の天王寺駅は、阪和線(南海山手線)と国鉄は
    別改札だったようです。従って、阪和線(南海山手線)と天王寺支線も別改札
    だったことになります。

    天王寺支線と国鉄/JRは線路が繋がっていました。

    現在、連絡改札口が設置されている駅は、元々は改札内が共通だった駅が
    少なくなさそうですね。

  • 88 名前: BMCW 2023-05-18 11:16:48 ID:mMDU3MmQx

    和歌山市、橋本(南海)、桑名、鳥羽(近鉄)も改札内は共通でした。

  • 89 名前: BMCW 2023-05-18 21:16:50 ID:0Y2I3ODcx

    1996年までの武蔵小杉における東急と南武線の乗り継ぎは連絡改札を経るタイプだったようです。
    現在の大和駅のように、
    JR券で東急の改札から入場して連絡改札を経てJR側に入ったり、
    東急券でJRの改札から入場して連絡改札を経て東急側に入ったり出来ていたとのことです。

  • 90 名前: 名無し 2023-06-18 12:38:33 ID:iMjk0OTI3

    名鉄の神宮前と国鉄の東海道本線も線路が接続されていましたよ〜

  • 91 名前: 名無し 2023-09-04 22:39:46 ID:hZWNjOTEz

    鹿島鉄道には国鉄のシナ座→ミト座が乗り入れてます
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%81%82%E3%81%84_(%E9%89%84%E9%81%93%E8%BB%8A%E4%B8%A1)

    立地的にも国鉄と関鉄は取手でもレールが接続されてたのではないですかね?
    五井は昔は国鉄と小湊が接続されてました

  • 92 名前: BMCW 2023-09-28 16:05:25 ID:iMmExZjZi

    本格的な投稿はもう1年近くしていませんね。光陰矢のごとしです。
    そして2ちゃんねる、5ちゃんねるも昨年11月14日を最後に見なくなってしまいました。

    残念なのは、あのスレの住人さんには東京のことを引き合いに出す人が本町氏をはじめ
    多々いるけど、東京のことをろくに分からずに論じる人が少なくないということです。
    ゆえに、いちいち指摘したくなったものでした。

    しかし、なかなか改善の見込みもなく、

    >坊や いったい何を教わって来たの
    >私だって 私だって 疲れるわ

    という状態になり、見なくなってしまいました。
    と言うよりも、気付いたら相当長い期間、見なくなっていました。

    もっとも、大阪在住者であれば東京のことは知らないこともあって当然だとは思うのですが、
    一番良くないことは、大阪のことすらろくに知らない人も多いということです。

    自分は万国博覧会や昔のことをウダウダ言える年齢でもあるから、彼らよりも経験に
    よって得た知識も多いとは思いますが、それにしても知らなさすぎです。

  • 93 名前: BMCW 2023-09-28 16:18:17 ID:iMmExZjZi

    あのスレでよく書いた発言を再度書きましょう。

    東京こそが、日本最大最強のモンロー主義であり、それは今も変わらないということです。

    そもそも、東京の私鉄は西武を除いてどこも昔から都心部への延伸や、都心を挟んで反対側の地域を拠点と
    する他私鉄との直通を実現することに熱心でした。しかし、それらの目論みはすべて却下されています。
    (後者は京急〜京成、小田急〜東武)

    その代替となるのが地下鉄直通です。

    都心部を営団(現メトロ)と都営で押さえ、そこに私鉄が乗り入れてくるという
    形態を採ったからこそ、私鉄と地下鉄の直通運転が多くなるのです。

    それに対して大阪は、京阪の淀屋橋延伸(1963年)や近鉄の難波延伸(1970年)などで見られる
    ように、モンロー主義を解消していったからこそ、私鉄と地下鉄の直通運転は、実質的には
    阪急〜堺筋線だけというように少なくなるのです。

    なぜこの幼稚園児でもわかるような当たり前の理屈が、
    何度も何度も説明しても理解できないのか訳がわかりません。

    モンロー主義で私鉄が地下鉄に直通できないのではなく、モンロー主義を解消していったからこそ
    前述のように私鉄と地下鉄の直通運転は、実質的に阪急〜堺筋線だけになってしまうのです。

    第三軌条で作ったから乗り入れができなくなったとか、関係ありません。

    メトロにしても都営にしても、国鉄や私鉄との直通関係がある路線は、どの路線も
    「最初から国鉄や私鉄と直通する前提で作られて」います。

  • 94 名前: BMCW 2023-09-28 16:20:14 ID:iMmExZjZi

    彼らの中には「東京の地下鉄の多くは架空集電で作っておいたから、国鉄・私鉄との乗り入れができる」と言う人がいますが
    全く逆です。「国鉄・私鉄との乗り入れをする前提があるから、架空集電で作ったのです」。

    鉄道の規格は集電方式だけでなく、電圧もゲージも建築限界なども様々にある訳です。
    それらすべての条件を合わせなければ直通運転はできません。よって何度も言うように
    「東京の地下鉄の架空集電の路線は、初めから相手となる国鉄・私鉄路線と直通する前提で作られています」。

    神戸の地下鉄は、シールド工法が一般化した時代に作られたからこそ架空集電になっています。
    その上で、ゲージや電圧、車体の寸法やデザインを見ると、当初から阪急や阪神、山電とも直通ができる
    ように設計されていると考えられます(特に阪急)。少なくとも、国鉄や神戸電鉄の規格ではありません。
    阪急、阪神、山陽も神戸高速直通以前は、軌間はともかく電圧や車幅などに違いがありました。

    大阪では阪急神宝線や近鉄南大阪線などは、梅田以南や阿部野橋以北への延伸を考えたことはない
    からこそ、自社線としての延伸線やその代替をするような地下鉄直通構想も起き得ないのです。
    延伸にもっとも熱心なのは南海でしょうね。

    なお、近鉄南大阪線系の前身会社は柏原から関西本線(関西鉄道)に乗り入れて湊町へ、
    南海電車も天王寺支線と城東線を通って大阪(梅田)へ乗り入れていました。
    阪急と大阪市電は地上時代の梅田駅(の側線)で線路がつながっていましたが、
    乗り入れは行われていません。

    最後にもう一回言います。
    東京こそが、日本最大最強のモンロー主義であり、それは今も変わらないということです。

    いい加減、川島氏やそこらのネットで書かれている事実に則しない情報や非論理的な
    解釈からは卒業してもらいたいですね。

  • 95 名前: BMCW 2023-09-28 17:03:53 ID:iMmExZjZi

    上での書き込みは少々誤解を招くかも知れないので補足します。阪急京都線・千里線が堺筋線に乗り
    入れているのは、以前からのモンロー主義に由来するものではありません。

    元々、新京阪鉄道や京阪電鉄新京阪線だった時代から天神橋駅よりも南への延伸は考慮されていました。
    高架にあった天神橋筋駅の南側には延伸できるようにアーチ型の開口部が設けられていました。

    阪急京都線系統は、昭和34年から独自の線路で十三〜梅田への直通を果たしますが(それでも宝塚線の増設線扱い)、
    梅田駅は手狭で、十三駅の折り返し専用ホームである7号線の使用も続いていました。

    そのような状態で阪急梅田駅は最盛期には1日67万人もの利用者がありました(神宝京合計で)。

    そこで梅田駅や千里線からの流入もある梅田〜淡路間の京都線の混雑を緩和したい阪急と、
    御堂筋線の混雑を緩和したい大阪市の利害関係が一致し、かつ万国博覧会の千里丘陵での開催が
    決まったからこそ、直通運転が決定されたと言えます。

    その後、阪急は1971年に梅田駅京都線のホームをゆとりのある高架の新ホームに移設し、73年には1号線も
    完成して今の形になります。それらが功を奏して、1976年には十三駅7号線も廃止となり、十三に来る列車は
    すべて梅田行きになりました。京都線の普通が本格的に「梅田発着」となったのは、この頃からです。

    このような混雑分散の動きもあって、十三〜淡路間で既存線と新大阪を経由する新線を
    少し離れた複々線として機能させる意図もあった「阪急新大阪線計画」は実現しなかったのです。
    (それがすべての原因ではありませんが)

    話が前後しますが、新京阪鉄道は当初の計画では既存の京阪本線から分岐する形が考えられていたものの、
    独自のターミナルを持つことになったのは国の指示であり、大阪市とは関係ありません。

  • 96 名前: BMCW 2023-09-28 18:01:57 ID:iMmExZjZi

    地下鉄堺筋線ができる前には同じ場所の地上に大阪市電が走っていました。
    (動物園前〜天下茶屋を除く)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E7%AD%8B

    大阪の人でも、御堂筋は昔から大阪のメインストリートだと思っている人も
    少なくないのですが、大阪の元々の目抜き通りは堺筋です。

    御堂筋は昔から存在してはいましたが、幅6mほどの狭い通りでしかなく、
    昭和になってから今のような大通りになったのです。

    大阪市は御堂筋という一番条件の良いところに地下鉄を走らせて利益を独占
    していると言う人もいますが、狭い通りでしかなかった御堂筋を大発展させた、
    或いは大発展するキッカケを作ったのは大阪市な訳です。

    もちろん、公権力だからこそ、元々その場所に存在していた民家などの建物も
    根こそぎ壊して幅の広い道路を作り、地下鉄を通すことができたとは思います。

    その当時の大阪市長は關一氏ですが(今のように公選ではない)、助役になるまでは大阪との
    関わりがなかった人です。完全なる余所者だからこそ、大阪に何が必要かを見抜き、実行して
    行くことができたのでしょうね。これは阪急を作った小林一三にも共通することです。

    關一
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%9C%E4%B8%80
    小林一三
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E4%B8%89

  • 97 名前: BMCW 2023-09-28 21:16:17 ID:0ZDUxZjVl

    営団地下鉄は後の時代は国と東京都が53:47の比率で出資することになりますが、
    (国鉄がある時代は国鉄が出資し、後に国鉄清算事業団、更に財務省の出資に)
    もっと前の時代は、東京に乗り入れる私鉄各社も出資しており(京急や京王は出資
    せず。京急は東京地下鉄道と合弁会社を作り、同社は営団に合流)、その点が市営
    交通などとは違う点です。関西においては神戸高速鉄道と似ているように思います。

    また現在の銀座線の渋谷〜新橋に当たる区間は、元々東急系である東京高速鉄道の
    路線でした。

    名古屋では名鉄と名古屋市交通局は同根ですし、名鉄が乗り入れる鶴舞線の八事〜
    赤池は、名鉄の前身会社が収得していた免許を、市が名鉄から譲り受ける形で開業
    しています。

    上での補足です。神戸市営西神・山手線でシールド工法の採用は、一番最初に作られた
    区間の一部である、妙法寺〜板宿でのみ採用されています。それ以外の区間は、1980
    年代になってから開通しているので、地下鉄の路線としては新しい部類に入ります。

    旧北神急行区間を除くと、全区間の半分は地上区間であり(山岳トンネルは通りますが)、
    あまり地下鉄という印象がありません。

  • 98 名前: BMCW 2023-09-29 01:32:09 ID:1M2ZlODkz

    シールド工法に加え、車両の冷房化が推進されるにあたり、天井の低いトンネルが廃熱において不利になったため、
    他鉄道との直通を前提としていない路線でも架空集電方式の採用が増えました。大阪市営10系は「走行時の放熱が
    少ないことから日本の地下鉄事業者かつ第三軌条式車両では初となる車両冷房の搭載も行われ」ました(wikiより引用)。

    第三軌条方式の新規開業路線は横浜市営ブルーラインが最後となっていますが、同路線の初代車両は非冷房車でした
    (後に冷房改造)。一方、現在も全車が非冷房の札幌市営を除くと、その次に地下鉄が開業するのは神戸市営ですが、
    同地下鉄は初代車両も冷房車です。札幌市営は南北線のみ第三軌条で、以降の2路線が架空なのは、日本では第三軌条
    方式は、直流だと750V以下で用いることになっているからではと推測しています。

  • 99 名前: BMCW 2023-09-29 01:48:39 ID:1M2ZlODkz

    京都市営地下鉄烏丸線は、当たり前ですが当初から「近鉄と直通する前提で建設」されています。
    近鉄は自社路線で京都駅以北への延伸を計画したことは一度もなかったはずです。ただし自分は、
    かつて実施されていた京阪への直通運転が廃止された代替の意味合いもあって、この直通が実施
    されているのでは、と考えているのですけど、無関係でしょうか?京阪本線・鴨東線と烏丸線は
    それほど離れていない場所を並行して走っています。一例として京都市役所前駅と三条駅はほぼ
    同緯度に位置し、東西方向の距離もそれほど離れていません。

  • 100 名前: BMCW 2023-09-29 06:43:54 ID:wZGYzN2Zj

    大阪が御堂筋界隈(東西方向でいうと四つ橋線〜堺筋線のあるエリアくらい)しか大発展
    しないのは、大阪の経済力や集客力がその程度でしかないということです。更に言うと、
    京阪や近鉄標準軌線が御堂筋線に接する駅まで延伸したことで、かえって御堂筋ばかりの
    街になってしまったのです。皮肉なことかもしれませんが。

    大阪では環状線の内側=都心みたいな言い方をされますが、本当に都心と言えるのは上記した
    ようなエリアだけです。環状線の内側でも寂れている地域は多々あります。他方で、西中島や
    新大阪のように、環状線の外側だけど、御堂筋線の沿線にあって発展している地域もあります。

    京阪や近鉄標準軌線は他の南北方向に走る路線(特に梅田に行く路線)とも接していますが、
    それでも御堂筋線が一番利用されるのは、御堂筋線上に用事がある人が多いからではないで
    しょうか?

    環状線は一例として「京阪、近鉄、南海から梅田に行くため」といった、バイパスとしての
    利用はありますが、沿線で発展していると言える地域は大阪駅の前後、京橋や天王寺くらい
    しかなく、御堂筋線の各地域と比較すると寂しい感じがしてしまいます。

  • 101 名前: BMCW 2024-04-24 08:48:55 ID:4MGY2MDgy

    以前に2chスレで書いたことですが、
    近畿圏と比べると首都圏は一般的に見て通勤圏・通学圏が広く、ゆえに交通機関に乗車する距離や時間は長いです。
    また路線の数が多く、特に東京の都心と言える地域の面積は広大で、そこに多くの路線が複雑に絡み合って存在して
    いるため、目的地に到着するまでに乗車する路線の数が多くなる=乗り換えの回数が多くなる傾向にあります。

    東京はJRや私鉄と地下鉄の直通運転が盛んだから、どこでも1本で行けるなどと言う人もいますが、逆にその巨大さ
    ゆえに、通勤や通学その他の利用が1本の列車で完結出来る人は非常に限られていると思います。

    直通で行ける場合でも、地下鉄は各駅停車が主体ですし、前述のように東京は都心部の面積が広大ですから、所要
    時間は多く掛かる傾向にあります。

    たとえば、東武伊勢崎線・東上線、西武池袋線、京急線、京成線の私鉄各方面から銀座エリアまで直通で行けると
    言っても、地下鉄区間の乗車距離・時間は、京急からを除き、それなりに掛かります。

    これに対して大阪市は私鉄が中心部まで自社路線として乗り入れ、また中心部の面積が小さいですから、たとえば
    心斎橋には大手私鉄の列車は直通して来ないものの、阪急や阪神の梅田からは3駅で、京阪の淀屋橋からは2駅で、
    近鉄・南海・阪神の難波からは1駅で、近鉄南大阪線阿部野橋=天王寺からも4駅で来られます。阪急京都線・千里
    線系統からは堺筋線を経由することで1駅で来ることも可能です。

    大阪は規模が小さいがゆえにコンパクトまとまっており、移動の際に掛かる時間や労力は、首都圏のそれらと比較
    して一般的に小さく済んでいると考えられます。

    大阪の人には東京ばかり有り難がって、現実を分析できていない人が少なくないのではと思います。

  • 102 名前: BMCW 2024-04-24 15:03:48 ID:4MGY2MDgy

    大阪は私鉄と地下鉄の直通運転が東京ほど盛んではないから、、関西私鉄の大阪側の終点駅は、関東私鉄の東京側の
    終点駅よりも、利用者の割に規模が大きい傾向があるという主張を見たことがありますが、こちらも必ずしも正しい
    見解とは思えません。これは利用者数にばかり着目して、他の要素を考えない人に多い見解だと思います。

    話が首都圏から逸れますが、自分は「御堂筋線の新大阪駅の乗降客数とJR岡山駅の乗降客数はほぼ同じ12万人程度
    だから、JR岡山駅もホームが1本で充分事足りる・・・」などという書き込みを見たことがあります。

    しかし、JR岡山駅には乗降客数としてカウントされない新幹線〜在来線相互間、在来線相互間を、改札口を通過する
    ことなく乗り換える利用者も相当数いますので、御堂筋線の新大阪駅よりも多くの人が利用していることになります。

    一般的には乗降客数とは改札通過数であり、改札を通過しない乗り換え客は含まれません。新幹線と在来線を隔てる
    連絡改札口の通過数は含まれていないはずです。

    また御堂筋線の新大阪駅は1系統しか走っていないのに対して、JR岡山駅は乗り入れる路線や種別が格段に多いです。
    そうなると必然的にその数に応じた線路やホームが必要となって来ます。新幹線には島式ホームが2本あり、在来線
    には島式ホームが4本あります。

    したがって、御堂筋線の新大阪駅とJR岡山駅は「乗降客数」では同じくらいだから、JR岡山駅もホームが1本で充分
    事足りる・・・などという理屈が成り立つ訳がありません。

    駅の規模とは利用者数に加え、路線や種別の多さも反映されて決まって来るものです。当たり前のことだと思います。

  • 103 名前: BMCW 2024-04-24 16:10:25 ID:4MGY2MDgy

    話を近畿圏と首都圏の終点駅の対比に戻します。

    阪急梅田駅は3つの本線乗り入れているからこそ、あの規模になるのです。路線単位で捉えてみれば各々線路は3本で
    ホームは4本しかありません。それが3本線分あるから線路は9本、ホームは10本になるのです(3・4号線ホームは京都
    線と宝塚線で、6・7号線ホームは宝塚線と神戸線で共用しているためホームは2本マイナスの10本となります)。

    同様に南海難波駅は2つの路線が乗り入れていますし、近鉄上本町駅の地上ホームも元々2つの路線が乗り入れて
    いた時に建設されたものです。ただし、上本町駅の地上のホームや線路は難波線開業時に減らされています。

    これに対して高架時代の東急東横線渋谷駅には1つの路線しか乗り入れていませんでしたし、他の関東私鉄の東京側の
    終点駅も、ほぼ1つの路線しか乗り入れていないと言えます。途中駅から支線・別線に乗り入れる系統もありますが、
    運行区間の大部分は本線の線路上を走る格好になっていたり、運行本数も全体から見れば少なく、京王の相模原線直通
    などを別にすれば、他では複数の系統が常時または多数、都心側終点駅まで乗り入れているとまでは言い難いです。

    利用者数ばかりでなく、路線数、系統数、種別数などが反映されて
    駅の規模が決まって来るということが分かるかと思います。

    なお、個人的には東急渋谷駅は今も東横線と田園都市線で別の駅という認識をしています。

    東急は東京メトロへの直通客も「東急渋谷駅の乗降客数」に含めてカウントしているため、実際の乗降客数=改札通過数は
    その数よりも少なくなります。直通客には東横線〜半蔵門線、田園都市線〜副都心線といった改札内乗り換えが必須になる
    パターンも含まれると思われます。他方で東急渋谷駅は東京メトロとの共同使用駅であるので、銀座線を除く東京メトロの
    乗降者数も「込みで計算される場合」があっても差し支えないと思います。

    また東横線と田園都市線が別改札となっていた時代は、両路線を相互に乗り換える乗客数も、乗降客数にカウントされて
    いました。

  • 104 名前: BMCW 2024-04-24 16:24:50 ID:lZTQ1Yzdh

    乗降客数のカウントの仕方に関しては、下記のWikipedia「桑名駅」も参考にして下さい。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%91%E5%90%8D%E9%A7%85

    【当該部分を抜粋】
    2003年(平成15年)4月1日に北勢線が、2007年(平成19年)10月1日に養老線が近鉄から分離された。これ以前のデータでは、同一鉄道事業者(近鉄)運営路線であった名古屋線と北勢線・養老線の乗り継ぎ利用者については当駅の乗車(乗降)人員数にカウントされていないが、当駅で乗車し養老線方面に向かった利用者についてはカウントされている。一方、近鉄からの北勢線・養老線分離以降は、名古屋線と北勢線・養老線の乗り継ぎ利用者は当駅(近鉄桑名駅)の乗車(乗降)人員数にカウントされており、養老鉄道桑名駅で乗車し養老線方面に向かった利用者については当駅(近鉄桑名駅)の乗車(乗降)人員数にカウントされていない。従って、2003年度(平成15年度)・2007年度(平成19年度)・2008年度(平成20年度)については、実際の利用状況の動向とは別に、これらの要因で数値が大きく変動している(増加している)ように見えるので、数値の推移を見る場合は注意を要する。

  • 105 名前: BMCW 2024-04-25 12:30:20 ID:0MzMwMmY4

    昨日書いていませんでしたが、小田急江ノ島線も本線との直通が頻繁に行われている路線かと思います。
    また各社とも「現状」について書いております。

  • 106 名前: BMCW 2024-04-25 20:22:16 ID:0MzMwMmY4

    それでも小田急新宿駅から江ノ島線への本数は、大阪で言えば阪急京都線梅田駅における
    北千里行き程度ですから、全体から見れば少ないですね。3つの本線が独立した3複線を
    走る阪急梅田〜十三、あるいは2の幹線が独立した複線を走る南海難波〜岸里玉出、近鉄
    上本町〜布施とは随分違うと思います。

    話が変わりまして、
    Wikipediaの「北総鉄道」の「合理化に関する取組みとその後の展開」の部分をご覧ください
    (相当長くなるので今回は引用を控えます)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%B7%8F%E9%89%84%E9%81%93

    上の方で書いたように、松戸では国鉄と新京成が無改札で接しておりました。文中を読む限りでは、
    当時の路線の事情もあってか、東急・東武・小田急など→営団地下鉄→国鉄常磐線→新京成電鉄→
    北総開発と4社〜5社を無改札でやって来る人も決してレアな訳ではなかったのですね。

    現在は松戸にも新鎌ヶ谷にも連絡改札口が設置されています。
    ただし、現在でも東京メトロから北総まで(発駅によっては)自然なルートかつ無改札で行くこともできます。

  • 107 名前: BMCW 2024-04-28 11:31:03 ID:xODIxNDI2

    総じて思うことは、大阪は東京と比べて利便性は変わらないか、むしろ良いくらいなのに、
    なぜか大阪人には「自分たちは不利益を被っている」「損ばかりさせられている」という
    被害妄想的な主張を繰り返す人が少なくないということです。

    なぜ実在しない事柄(仮想的)に対して怒っているのかと言えば、大阪人は東京のことを
    知らないだけでなく、大阪のこともろくに知らないからだと思います。

    彼らの言い分でも、北陸新幹線の敦賀延伸や9年前の金沢延伸に関しては理解できます。
    主に乗り換えが増えたこと、あるいは代金が増えたことに付いてです。

    下記の文頭に「>」がある行は引用、一部改
    >例えば、3月15日以前に塚本から金沢に行く場合、大阪駅で1回乗り換えが発生していました。
    >それならば3月16日以降に大阪から金沢に行くのに1回乗り換えが発生するのと
    >変わらないじゃないかと言われるかもしれませんが、

    >出発地の都市内もしくは到着地の都市内で1回乗り換えが発生するのと、
    >両都市間を(長距離)移動している最中に1回乗り換えが発生するのとでは、
    >乗り換え回数は同じでも心理的な意味合いが全然違ってきます。

    >長距離で結ばれていた地域が結ばれなくなり、直接行けなくなるのは
    >実際の距離以上に心理的な距離も遠くなってしまうということです。

  • 108 名前: BMCW 2024-04-28 11:33:07 ID:xODIxNDI2

    そのくらいで文句言うなという意見もあるようですが、問題なのは大阪〜金沢方面の
    移動は、日々の通勤で利用する区間ではなく、主に観光で利用する区間だからです。

    仕事に行く場所であれば、不便が発生するようになっても「行かなければなりません」。
    しかし観光で行く場所は、不便が発生するようになると「選んでもらえなくなる」のです。

    それによって損をするのは石川県をはじめとした北陸地方の各県なのです。

    この1ヶ月で関西や名古屋方面からは明らかに利用者が減ったと思います。
    その減少を補うだけの利用者が、主として首都圏からあったのかと言われれば疑問です。

  • 109 名前: BMCW 2024-04-28 17:06:20 ID:xODIxNDI2

    もっともこのような問題は、60年前に東海道新幹線が開業した時からありました。
    つまり、それ以前は東京駅などから在来線の特急や急行1本で行けていたのに、新幹線
    との重複区間では運転がなくなり=重複していない区間だけの運転となり、乗り換えが
    必要になるケースが出てきました。

    また「新幹線の特急券」と「在来線の特急券or急行券」が必要となり、割高感を解消する
    ために、乗り継ぎ割引制度が導入されました。ただしこの制度は先月で廃止されました。

    乗り換えが必要となり、かつ料金的に高くなっても、それに見合うだけの「効果」が
    得られれば問題はないか、少なかったのでしょう。しかし今回の北陸新幹線のように
    大阪〜金沢間は22分しか短縮しないのに、乗り換えが必要になり代金も1620円も
    上がってしまうので「割に合わない」と感じるのでしょう。

    なお、東京~敦賀間は現在も米原経由の方が速達性では上だそうです。

  • 110 名前: BMCW 2024-05-29 17:51:27 ID:2YTNiZTBj

    パンタと第三軌条、軌間の違い、電化と非電化、交流と直流、電圧の違い、車両の寸法の違いなど
    鉄道にはさまざまな規格が存在する訳ですが、一番厄介なのは建築限界かと思います。建築限界は
    車両限界が反映される形で決まって来るものと思いますが、一旦その数値で構造物が建設されてし
    まうと、特に高架橋やトンネルは手直しすることが事実上不可能だと思います。やるにしても建て
    替えになってしまうと思われ非現実的かと思います。

    JR東日本からメトロへの乗り入れ形式は、他の車種が裾絞りの広幅車体になる中で、今も直線的な
    側面になっています。ホームを除いて予め大きな建築限界で作っていれば、広幅車体でも走れたかも
    しれません。ただしコストが余計に掛かる場合もあります。また人間はそんなに遠い将来まで見通す
    ことは出来ません。

    集電方式の違いについてですが、第三軌条の銀座線とパンタの京浜は相互直通の計画がありました。
    御堂筋線は当初から地上区間ではパンタで集電し、地下区間ではパンタを折りたたんで走行すると
    いう考えがあったため、トンネル(つまり建築限界)が少し大きめに作られています。10系が全国の
    第三軌条の地下鉄車両で初の冷房車になれた理由の1つでもあります。

  • 111 名前: BMCW 2024-05-30 11:22:32 ID:hNWJhNGNm

    1つ上の投稿の最終部分は誤解を招くかも知れんので、

    「御堂筋線は当初から地上区間ではパンタで集電し、地下区間ではパンタを折りたたんで
     第三軌条で集電するという考えがあったため」

    と書き換えておきます。

  • 112 名前: BMCW 2024-08-01 14:59:03 ID:lM2Q5YjUy

    1週間前に放送された下記の番組の一番最後の部分で、自分がコマルスレやこの掲示板などで
    散々言ってきたことが解説されてますね。33分40秒過ぎからです。

    磯山さやか:ちょっと不思議だなって思うことがあって、この山手線の中、
          内側っていうところに、私鉄?がなんか走ってないなっていう。
    ナレーター:確かに不思議なくらい、輪の中には私鉄が走っていません。
    磯山さやか:そうだよね。西武鉄道もそうですよね。西武新宿、高田馬場行くけど
          寄り添ってるんだ。中じゃなくて。
    ダーリン
    ハニー吉川:山手線と仲良く。五反田。ここも実は山手線があって、その上の所まで、
          高架までは作ってるんですよ。もっと先行きたいぞって言う。
          でもその先はなかなか進めなかった。

          1888年にですね、日本初の都市計画法、東京市区改正条例という、これのが公布されましてね。
          で、これ東京市内に敷設する鉄道にはですね、これ道路交通を妨げないようにと言うことで、
          これ高架、上ですね、もしくは地下、の立体交差を設けるっていうのが、これ義務付けられたんですよ。
          ですから山手線の内側に、こう延伸をいろいろですね、計画したんですけども、
          まぁ、この立体交差を作るための、この莫大な費用がかかってしまうので断念することになってしまいまして。

    有吉木曜バラエティ
    【有吉の大考察 後編】150年の歴史!「JR山手線」を徹底解説!
    テレビ東京
    7月25日(木)放送分
    配信終了まで1週間以上
    https://tver.jp/episodes/ep1mandmpe

    ちなみに前編はこちら
    https://tver.jp/episodes/epppa96ue4

    今日で配信終了かと思ったら、1週間以上先までOKみたい

  • 113 名前: BMCW 2024-08-01 15:13:46 ID:lM2Q5YjUy

    京阪梅田線も地下や高架での建設が求められたのも同じことです。
    神戸では阪神も阪急も地下で建設するように言われていましたが、省線高架後に阪急は寄り添う形で高架を作っています。

    wiki「阪急神戸本線」より引用
    阪急が工費や地下構造物の問題から高架での三宮乗り入れを希望したが、神戸市会(現在の神戸市議会)が
    市内に乗り入れる鉄道路線は地下線とする原則を崩さなかったため工事が遅れていた(「阪神急行電鉄#三宮
    高架乗り入れ騒動」の項目も参照のこと)。結局、省線(現在のJR神戸線)が三ノ宮駅付近を高架化すると
    市会は高架化に対する容認論に傾き、1936年に現在の神戸三宮駅(開設当時は神戸駅)までの開業に漕ぎつ
    けた。三宮乗り入れ後、西灘駅(現在の王子公園駅) - 上筒井駅間の旧線に関しては、支線の上筒井線として
    1940年の廃止まで90形単行による折り返し運行が行われた。

    wiki「阪神急行電鉄」より引用
    神戸線の敷設に際し、当初は市街地を離れた上筒井をターミナルとする予定はなく、三宮への乗り入れを計画
    していた。しかし、阪急が高架線での乗り入れを主張していたのに対し、神戸市では市街が分断されるとして
    地下化を主張、沿線住民による高架線反対運動もあって交渉が暗礁に乗り上げていたため、上筒井を暫定ター
    ミナルとして開業させたのである。

    神戸市では、同じく市街を地上線で通っていた東海道本線・阪神本線についても、地下線にするよう要請を出し
    ていた。このうち阪神については、市内に存在する併用軌道を高架化で解消しようと考えていたものの、市の要
    望に応じて地下線への計画変更を承諾した(1933年に実施)が、東海道本線については鉄道省が費用が倍になる
    ことを理由に難色を示し、結局1931年(昭和6年)に高架化が実施された。

    阪急では東海道本線の既成事実も上げて粘り強く交渉を続け、神戸線開業から13年たった1933年(昭和8年)、
    ようやく三宮高架乗り入れに関して神戸市会の承諾を得ることができた。これに伴い工事が開始されることになる。

  • 114 名前: BMCW 2024-08-01 15:18:27 ID:lM2Q5YjUy

    市区改正
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%8C%BA%E6%94%B9%E6%AD%A3

    >大阪市:1887年(明治20年)に大阪市区改正方案取調委員会が設置され、市区改正案が作られたが、
    >実施に至らなかった。その後、(任意事業により)路面電車の開通に伴う道路拡幅が実施され、条例
    >準用後の1918年、メインストリートの御堂筋を含む路線の計画が決定された(1937年完成)。

    >神戸市:1914年に市区改正調査委員会が設置された。

  • 115 名前: BMCW 2024-08-01 15:29:12 ID:lM2Q5YjUy

    上筒井駅
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%AD%92%E4%BA%95%E9%A7%85

    wiki「上筒井駅」より引用
    阪急では神戸本線を建設するに当たって、1919年(大正8年)に地下線での建設を条件に鉄道省線三ノ宮駅への
    乗り入れを認可されたが、同社は工費がかかるとして高架線での建設を主張し、都市計画の問題から神戸市との
    間でしばらく対立することになった。

    そのため、当面三宮方面の延伸は実現しないだろうとして、とりあえず神戸市の山手東端であって神戸市電布引
    線が通じていた上筒井に、神戸駅の名で暫定ターミナルを設けることにした。これにより、1920年(大正9年)
    に梅田駅から当駅までの間で営業を開始した。
    (中略)
    その後の交渉の結果、省線三ノ宮駅まで高架線で建設できることになり、1936年(昭和11年)にようやく(新)
    神戸駅(1968年(昭和43年)に三宮駅と改称)まで進出を図る。この時、(旧)神戸駅も上筒井駅へ改称して
    残ることになり、新旧線の分岐点に西灘駅(現・王子公園駅)を設けて西灘 - 上筒井間の折り返し運転とした。

    しかし上筒井線という盲腸線の終端となった上筒井駅の利用客は伸びず、1940年(昭和15年)に廃駅となった。
    廃止直前には、西灘 - 上筒井間が単線になるとともに、駅配線は1面2線へ縮小されていた。

  • 116 名前: BMCW 2024-10-06 17:28:50 ID:mZWMwMjc3

    東京の地下鉄では多くの路線が自前路線としては「ほぼ都心部だけ」で完結する形になっています。
    これは私鉄が自社路線で都心部まで乗り入れていないことの「裏返しの現象」とも言えます。

    他方、東京以外の地域では、地下鉄が自前路線のまま郊外まで路線を伸ばしていることが多いです。

    従って東京以外では、私鉄が自社路線のまま中心部まで乗り入れているのと同時に、地下鉄が自前
    路線のまま郊外まで乗り入れているため、異なる事業同士による「相互乗り入れ」に頼らずとも、
    1社局の路線だけで郊外と中心部が結ばれている場合が多いということになります。

    例えば、御堂筋線は明らかに阪急のテリトリーから南海のテリトリーを結ぶ鉄道です。

    御堂筋線は江坂〜なかもずで24.5kmです。阪急テリトリーの最南端である梅田と
    南海テリトリーの最北端である梅田は4.1kmしかありません。

    これに対して東京メトロ千代田線は、綾瀬〜北綾瀬を除くと21.9kmの路線ですが、
    小田急のテリトリーから常磐線のテリトリー(北千住)に行くまで19.3kmもあります。

    東京では地下鉄が中間に来る3社以上の乗り入れが盛んと言いますけど、メトロの直通路線
    では最も短い半蔵門線でも16.8 kmあり、これは御堂筋線で言えば梅田〜新金岡に匹敵する
    距離になります。一般的な大阪人の感覚であれば、梅田〜新金岡は相当な距離に感じられる
    のではないでしょうか?

    東京メトロでは少なくともその距離を通り過ぎないと、相手方の路線には行けません。なお、
    西武から副都心線に直通する列車は、それより短い距離しか副都心線を走りませんし、また
    東急側から見ると「池袋の時点」で相手方のテリトリーに入る形になっています。

    なお、都営地下鉄の泉岳寺〜押上は11.4kmであり、御堂筋線で言えば梅田〜長居くらいの
    距離に相当します。

    大阪の人と首都圏の人は、過去に記したようなことも含めて距離の感覚がかなり違っていると
    思います。

  • 117 名前: BMCW 2024-10-18 15:51:13 ID:iZTEwOWE0

    かつて同じことを言っておりますが、関空は遠い遠いと言われていますが、新今宮~関西空港の
    南海の最速特急と日暮里~成田空港の京成の最速特急を比較すると南海の方が所要時間は短いです。
    京成は新路線を作って最高速度160km/hで走ってようやく最速36分です(つまり東京都心から
    成田空港は、大阪中心部から関空よりもずっと遠いです)。

    なお「ラピート」は運行開始当初ノンストップで運転されており、難波と関空を最速29分で結んで
    おりました。

    話が変わりますが、新大阪駅に付いても中心部から離れているなどと言われます。自分からすると
    新大阪は万国博覧会の頃、周辺はまだほとんど開発されていませんでしたが、主に昭和50年代に
    急激に発展し、ほぼ今の姿に近づきます。昭和60年代以降も発展が続いています。

    更に言うと、新大阪のみならず西中島~江坂~千里中央にかけても同じ頃に大発展しました。
    ゆえに新大阪界隈自体も「大阪の中心部の一角」を成すようになったと思います。

    もちろん、このような発展があったとしても、梅田や淀屋橋、本町を中心とした地域には及ばない
    かと思われます。

  • 118 名前: BMCW 2024-10-18 15:51:57 ID:iZTEwOWE0

    それを踏まえて申し上げますが、東京では東海道新幹線の停車駅である東京駅周辺や品川駅周辺は
    ズバリ中心部と言える地域にあります。しかし、東京の中心部の面積は大阪の中心部の面積よりも
    はるかに広い訳です。

    新大阪から梅田までは御堂筋線で3.5km、本町は5.7kmあります。しかし大阪では本町かその界隈
    (堺筋本町や心斎橋あたり)まで行けば、一旦、中心部と言えるような場所は終了になる訳です。

    一方で東京では、東京駅あるいは品川駅から3.5kmないしは5.7km以上離れた場所でも、
    まだまだ「中心部」が続いています。

    例:品川~渋谷=7.2km、品川~新宿=10.6km、
      東京~新宿=10.3km、東京~池袋=8.7km

    用事が東京駅や品川駅の周辺や近くだけで済む場合もあろうかと思いますが、東京は中心部の
    面積が広いため、出張先に行く場合などは、すぐ上で書いたように新大阪~梅田や本町以上の
    距離を移動する場合もある訳です。むしろそのような場合の方が多いかも知れません。
    (東京駅や品川駅に近い「都心部」よりも離れた「都心部」方が面積的にも広いため)

    大阪人の「遠い」とか「面倒臭い」というタイプの発言は、東京の人からすれば、
    ほとんど「大したことがない」ものばかりではと思います。

  • 119 名前: BMCW 2024-10-18 18:36:26 ID:kN2QzNzYw

    117の7行目でありますが、
    「自分からすると」と書いた部分は、
    「自分が見た範囲では」或いは「自分が知る範囲では」と読み替えてください。

  • 120 名前: BMCW 2024-10-18 23:59:22 ID:hMDhjMmNi

    地方に行けば、その県や市を代表する駅の前しか発展していないところはいくらでも
    あります。自分は何度も大阪は御堂筋(東西方向で言えば四つ橋筋〜堺筋)くらいしか
    発展していない、或いは御堂筋で完結するくらいの都市規模しかないと言っていますがけど、
    東京よりも小さくて名古屋よりも大きい都市であれば、普通考えるとそうなるのではない
    でしょうか?

    以前にも書いているように、大阪は京阪は近鉄標準軌路線が中心部に乗り入れたために
    より一層、御堂筋線に集中する形になったと考えられます。

    東京は中心部が満遍なく発展するくらいの大都市だと言うことです。
    名古屋は名駅から栄くらいが最も繁栄しているかと思います。

    大阪(の特に中心部)は御堂筋ばかりに集中していると言ったって、首都圏の多くの路線と
    比較すれば、各駅の乗降客数、各駅間の利用者数、混雑率はそれらよりも少なかったり
    低かったりする訳です。

    例えば各線総計の大阪/梅田駅の乗降客数だって、新宿、渋谷、池袋よりも少ないです。

    以前にも書いているように、直接接していない私鉄同士を移動する場合などは、運賃が安い
    JR環状線が使われることもあります。


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