8月21日谷町線で運用されている大阪メトロ22655Fが森ノ宮から緑木検車場へ回送されました。リニューアルか廃車回送か気になります。現状を教えて下さい。
申し訳ありませんが、わかりかねます。
直接的には関係ありませんが、夢洲への延伸(3.2km)、森ノ宮検車場への回送線の旅客化が
あるので、車両の在籍数は増えそうです。北急は2.5kmの延伸で3編成(30両)増車しました。
https://subway.osakametro.co.jp/news/news_release/20230825_yumeshima_enshin.php
8月29日に北大阪急行8000形3編成が9000形に置き換えすると発表しました。もしそうなれば9008F、9009F、9010Fでしょうか?
どこのリリースですか?
https://www.kita-kyu.co.jp
冒頭で「不確定要素の強い未来系の話もキリがなくなるので、大人の対応を取って下さい」と
書いておりますので、もし書かれる場合は、公式な情報をお願いします。
↑で名乗り忘れました。
加えて、この掲示板は2ちゃん(5ちゃん)があまりにメチャクチャなので、その避難所として立てた経緯があります。
ふさわしくないと思われる投稿は消しますので、よろしくお願いします。
大阪メトロ22系・23系リニューアル・車両の動き
大阪メトロ22系 谷町線
2021年4月以降リニューアルされた編成
22608F 2021年4月23日
22609F 2021年12月27日
22610F 2022年5月9日
22611F 2022年9月13日
22612F 2023年8月4日
原型で残っている22613F~22619F、22656F~22663Fについては未だ不明
廃車
22655F 2023年8月22日
2023年8月29日~31日にかけて
陸送
大阪メトロ23系 四つ橋線
2021年4月以降にリニューアルされた編成
23605F 2021年6月24日
23610F 2022年3月2日
23611F 2022年6月27日
23612F 2022年10月25日
23613F 2023年6月8日
23614F 2023年10月27日
23615F 現在、大阪車両にてリニューアル
改造中。来年3月に出場。
23616F 2024年3月中旬入場
7月中旬出場
23617F 2024年7月下旬入場
2024年11月下旬出場
23618F 2024年11月下旬入場
2025年3月下旬出場
23619F 2025年3月下旬入場
2025年7月下旬出場
23620F 2025年8月初旬入場
2025年12月初旬出場
23621F、23622F リニューアルせず廃車
23606F(元24656F)が同線に里帰り、23656F(元22606F)が四つ橋線によるホームドアによる対応による余剰廃車と思われる。
11月14日で2ちゃんねるのスレを見なくなって1年経つのですが・・・
このスレでは政治的な色合いの話や未来系の話はやめてくれということだけど・・・
再来年の博覧会は大失敗でしょうね。開催されない方がいいと思ってます。
私は2ちゃんスレで何度も1970年を引き合いに出して、2025年は失敗すると書いたけど、
ここまでトラブルが続くとは思いませんでした。
吉村知事も横山市長も1970年の万博を実体験していない世代。自分たちの世代でも何かできる
とでも思ったのだろうか。ネットが普及している時代に万博は不要。大阪は53年間、何も学習
しなかったのでしょうね。
地下鉄でもコスモ〜夢洲のトンネルと、いずれ谷町線用とするために中央線に入れている
30000系は完全に無駄なお金だと思います。
前回の万博の時の話ですが、1927〜1929年製の新京阪電車P-6は73両おり、これに1949年
製の阪急スタイルの1550形が加わって78両で1つのグループを形成していましたが、万博の
頃は全車健在で71年の秋から73年の春にかけて5100、5300系に代替される形で一挙に廃車
されました。廃車の1年半の間に同数かそれ以上の京都線用の5100系や5300系は製造されて
いないため、万博の会期中は通常よりも多い車両数で対応していたことがわかります。
大阪市交通局は600形までの在来車は1969年で一挙に運用離脱しているので、阪急と同じような
対応は採らず、御堂筋線+北大阪急行は30系やその関連系列だけで万博対応にあたっています。
北大阪急行の7000・8000系が会期終了後に交通局に譲渡されます。この当時は第三軌条路線の
延伸や増発・増結が盛んだった時代であり、ゆえに万博のために過剰に作られた車両たちも、万博
終了後に余すことなく有効活用できたのです。
70〜71年には1000形15両、72年には1115と6111が廃車になっているのでその代替も
兼ねていると思われます。1000形は短命形式で6111も実働は5年ほどの車両です。
73年以降は新30系や10系の基礎となる旧20系の製造が始まり、84年には20系も製造も
始まりますが、第三軌条線では1972年を最後に1988年頃まで廃車はなく、一方的に製造
だけが続いていたので、それだけ輸送力が増強されていたことになります。
北大阪急行8000形更新車3編成(8003F・8006F・8007F)いつ頃置き換え
北大阪急行8000形更新車3編成(8003F・8006F・8007F)はいつ頃9000形に置き換えられるんでしょうか? 教えて下さい。
公式に発表がないものは分かりかねます。
また推測もキリがないのでお控えください。
現在活躍している8000は更新されている車両なので、今後も活躍が続くでしょうね。
今年の秋に奈良線に新型通勤車がデビューしますが、形式と何両ぐらい製造されるか教えてください。
公式に発表がないものは分かりかねます。
また推測もキリがないのでお控えください。
今年の秋に奈良線に新型車両が登場しますが、近畿車輛で今、近鉄電車は製造していますか?
恐れ入りますが分かりかねます。
実際に現場に見に行かれてはいかがでしょうか?
四つ橋線23系(23616F)はリニューアル工事 完了してますか?
大阪メトロ23系23616fリニューアルして緑木に帰還してますか?
まだですね
まだと言うことは12月ぐらいには緑木に帰還かなあ
ご自由にお使い下さい。
荒らしや不適切な書き込みは削除致します。
政治的な対立を煽る発言もお控え下さい。
以前に2chスレで書いたことですが、
近畿圏と比べると首都圏は一般的に見て通勤圏・通学圏が広く、ゆえに交通機関に乗車する距離や時間は長いです。
また路線の数が多く、特に東京の都心と言える地域の面積は広大で、そこに多くの路線が複雑に絡み合って存在して
いるため、目的地に到着するまでに乗車する路線の数が多くなる=乗り換えの回数が多くなる傾向にあります。
東京はJRや私鉄と地下鉄の直通運転が盛んだから、どこでも1本で行けるなどと言う人もいますが、逆にその巨大さ
ゆえに、通勤や通学その他の利用が1本の列車で完結出来る人は非常に限られていると思います。
直通で行ける場合でも、地下鉄は各駅停車が主体ですし、前述のように東京は都心部の面積が広大ですから、所要
時間は多く掛かる傾向にあります。
たとえば、東武伊勢崎線・東上線、西武池袋線、京急線、京成線の私鉄各方面から銀座エリアまで直通で行けると
言っても、地下鉄区間の乗車距離・時間は、京急からを除き、それなりに掛かります。
これに対して大阪市は私鉄が中心部まで自社路線として乗り入れ、また中心部の面積が小さいですから、たとえば
心斎橋には大手私鉄の列車は直通して来ないものの、阪急や阪神の梅田からは3駅で、京阪の淀屋橋からは2駅で、
近鉄・南海・阪神の難波からは1駅で、近鉄南大阪線阿部野橋=天王寺からも4駅で来られます。阪急京都線・千里
線系統からは堺筋線を経由することで1駅で来ることも可能です。
大阪は規模が小さいがゆえにコンパクトまとまっており、移動の際に掛かる時間や労力は、首都圏のそれらと比較
して一般的に小さく済んでいると考えられます。
大阪の人には東京ばかり有り難がって、現実を分析できていない人が少なくないのではと思います。
大阪は私鉄と地下鉄の直通運転が東京ほど盛んではないから、、関西私鉄の大阪側の終点駅は、関東私鉄の東京側の
終点駅よりも、利用者の割に規模が大きい傾向があるという主張を見たことがありますが、こちらも必ずしも正しい
見解とは思えません。これは利用者数にばかり着目して、他の要素を考えない人に多い見解だと思います。
話が首都圏から逸れますが、自分は「御堂筋線の新大阪駅の乗降客数とJR岡山駅の乗降客数はほぼ同じ12万人程度
だから、JR岡山駅もホームが1本で充分事足りる・・・」などという書き込みを見たことがあります。
しかし、JR岡山駅には乗降客数としてカウントされない新幹線〜在来線相互間、在来線相互間を、改札口を通過する
ことなく乗り換える利用者も相当数いますので、御堂筋線の新大阪駅よりも多くの人が利用していることになります。
一般的には乗降客数とは改札通過数であり、改札を通過しない乗り換え客は含まれません。新幹線と在来線を隔てる
連絡改札口の通過数は含まれていないはずです。
また御堂筋線の新大阪駅は1系統しか走っていないのに対して、JR岡山駅は乗り入れる路線や種別が格段に多いです。
そうなると必然的にその数に応じた線路やホームが必要となって来ます。新幹線には島式ホームが2本あり、在来線
には島式ホームが4本あります。
したがって、御堂筋線の新大阪駅とJR岡山駅は「乗降客数」では同じくらいだから、JR岡山駅もホームが1本で充分
事足りる・・・などという理屈が成り立つ訳がありません。
駅の規模とは利用者数に加え、路線や種別の多さも反映されて決まって来るものです。当たり前のことだと思います。
話を近畿圏と首都圏の終点駅の対比に戻します。
阪急梅田駅は3つの本線乗り入れているからこそ、あの規模になるのです。路線単位で捉えてみれば各々線路は3本で
ホームは4本しかありません。それが3本線分あるから線路は9本、ホームは10本になるのです(3・4号線ホームは京都
線と宝塚線で、6・7号線ホームは宝塚線と神戸線で共用しているためホームは2本マイナスの10本となります)。
同様に南海難波駅は2つの路線が乗り入れていますし、近鉄上本町駅の地上ホームも元々2つの路線が乗り入れて
いた時に建設されたものです。ただし、上本町駅の地上のホームや線路は難波線開業時に減らされています。
これに対して高架時代の東急東横線渋谷駅には1つの路線しか乗り入れていませんでしたし、他の関東私鉄の東京側の
終点駅も、ほぼ1つの路線しか乗り入れていないと言えます。途中駅から支線・別線に乗り入れる系統もありますが、
運行区間の大部分は本線の線路上を走る格好になっていたり、運行本数も全体から見れば少なく、京王の相模原線直通
などを別にすれば、他では複数の系統が常時または多数、都心側終点駅まで乗り入れているとまでは言い難いです。
利用者数ばかりでなく、路線数、系統数、種別数などが反映されて
駅の規模が決まって来るということが分かるかと思います。
なお、個人的には東急渋谷駅は今も東横線と田園都市線で別の駅という認識をしています。
東急は東京メトロへの直通客も「東急渋谷駅の乗降客数」に含めてカウントしているため、実際の乗降客数=改札通過数は
その数よりも少なくなります。直通客には東横線〜半蔵門線、田園都市線〜副都心線といった改札内乗り換えが必須になる
パターンも含まれると思われます。他方で東急渋谷駅は東京メトロとの共同使用駅であるので、銀座線を除く東京メトロの
乗降者数も「込みで計算される場合」があっても差し支えないと思います。
また東横線と田園都市線が別改札となっていた時代は、両路線を相互に乗り換える乗客数も、乗降客数にカウントされて
いました。
乗降客数のカウントの仕方に関しては、下記のWikipedia「桑名駅」も参考にして下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%91%E5%90%8D%E9%A7%85
【当該部分を抜粋】
2003年(平成15年)4月1日に北勢線が、2007年(平成19年)10月1日に養老線が近鉄から分離された。これ以前のデータでは、同一鉄道事業者(近鉄)運営路線であった名古屋線と北勢線・養老線の乗り継ぎ利用者については当駅の乗車(乗降)人員数にカウントされていないが、当駅で乗車し養老線方面に向かった利用者についてはカウントされている。一方、近鉄からの北勢線・養老線分離以降は、名古屋線と北勢線・養老線の乗り継ぎ利用者は当駅(近鉄桑名駅)の乗車(乗降)人員数にカウントされており、養老鉄道桑名駅で乗車し養老線方面に向かった利用者については当駅(近鉄桑名駅)の乗車(乗降)人員数にカウントされていない。従って、2003年度(平成15年度)・2007年度(平成19年度)・2008年度(平成20年度)については、実際の利用状況の動向とは別に、これらの要因で数値が大きく変動している(増加している)ように見えるので、数値の推移を見る場合は注意を要する。
昨日書いていませんでしたが、小田急江ノ島線も本線との直通が頻繁に行われている路線かと思います。
また各社とも「現状」について書いております。
それでも小田急新宿駅から江ノ島線への本数は、大阪で言えば阪急京都線梅田駅における
北千里行き程度ですから、全体から見れば少ないですね。3つの本線が独立した3複線を
走る阪急梅田〜十三、あるいは2の幹線が独立した複線を走る南海難波〜岸里玉出、近鉄
上本町〜布施とは随分違うと思います。
話が変わりまして、
Wikipediaの「北総鉄道」の「合理化に関する取組みとその後の展開」の部分をご覧ください
(相当長くなるので今回は引用を控えます)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%B7%8F%E9%89%84%E9%81%93
上の方で書いたように、松戸では国鉄と新京成が無改札で接しておりました。文中を読む限りでは、
当時の路線の事情もあってか、東急・東武・小田急など→営団地下鉄→国鉄常磐線→新京成電鉄→
北総開発と4社〜5社を無改札でやって来る人も決してレアな訳ではなかったのですね。
現在は松戸にも新鎌ヶ谷にも連絡改札口が設置されています。
ただし、現在でも東京メトロから北総まで(発駅によっては)自然なルートかつ無改札で行くこともできます。
総じて思うことは、大阪は東京と比べて利便性は変わらないか、むしろ良いくらいなのに、
なぜか大阪人には「自分たちは不利益を被っている」「損ばかりさせられている」という
被害妄想的な主張を繰り返す人が少なくないということです。
なぜ実在しない事柄(仮想的)に対して怒っているのかと言えば、大阪人は東京のことを
知らないだけでなく、大阪のこともろくに知らないからだと思います。
彼らの言い分でも、北陸新幹線の敦賀延伸や9年前の金沢延伸に関しては理解できます。
主に乗り換えが増えたこと、あるいは代金が増えたことに付いてです。
下記の文頭に「>」がある行は引用、一部改
>例えば、3月15日以前に塚本から金沢に行く場合、大阪駅で1回乗り換えが発生していました。
>それならば3月16日以降に大阪から金沢に行くのに1回乗り換えが発生するのと
>変わらないじゃないかと言われるかもしれませんが、
>出発地の都市内もしくは到着地の都市内で1回乗り換えが発生するのと、
>両都市間を(長距離)移動している最中に1回乗り換えが発生するのとでは、
>乗り換え回数は同じでも心理的な意味合いが全然違ってきます。
>長距離で結ばれていた地域が結ばれなくなり、直接行けなくなるのは
>実際の距離以上に心理的な距離も遠くなってしまうということです。
そのくらいで文句言うなという意見もあるようですが、問題なのは大阪〜金沢方面の
移動は、日々の通勤で利用する区間ではなく、主に観光で利用する区間だからです。
仕事に行く場所であれば、不便が発生するようになっても「行かなければなりません」。
しかし観光で行く場所は、不便が発生するようになると「選んでもらえなくなる」のです。
それによって損をするのは石川県をはじめとした北陸地方の各県なのです。
この1ヶ月で関西や名古屋方面からは明らかに利用者が減ったと思います。
その減少を補うだけの利用者が、主として首都圏からあったのかと言われれば疑問です。
もっともこのような問題は、60年前に東海道新幹線が開業した時からありました。
つまり、それ以前は東京駅などから在来線の特急や急行1本で行けていたのに、新幹線
との重複区間では運転がなくなり=重複していない区間だけの運転となり、乗り換えが
必要になるケースが出てきました。
また「新幹線の特急券」と「在来線の特急券or急行券」が必要となり、割高感を解消する
ために、乗り継ぎ割引制度が導入されました。ただしこの制度は先月で廃止されました。
乗り換えが必要となり、かつ料金的に高くなっても、それに見合うだけの「効果」が
得られれば問題はないか、少なかったのでしょう。しかし今回の北陸新幹線のように
大阪〜金沢間は22分しか短縮しないのに、乗り換えが必要になり代金も1620円も
上がってしまうので「割に合わない」と感じるのでしょう。
なお、東京~敦賀間は現在も米原経由の方が速達性では上だそうです。
パンタと第三軌条、軌間の違い、電化と非電化、交流と直流、電圧の違い、車両の寸法の違いなど
鉄道にはさまざまな規格が存在する訳ですが、一番厄介なのは建築限界かと思います。建築限界は
車両限界が反映される形で決まって来るものと思いますが、一旦その数値で構造物が建設されてし
まうと、特に高架橋やトンネルは手直しすることが事実上不可能だと思います。やるにしても建て
替えになってしまうと思われ非現実的かと思います。
JR東日本からメトロへの乗り入れ形式は、他の車種が裾絞りの広幅車体になる中で、今も直線的な
側面になっています。ホームを除いて予め大きな建築限界で作っていれば、広幅車体でも走れたかも
しれません。ただしコストが余計に掛かる場合もあります。また人間はそんなに遠い将来まで見通す
ことは出来ません。
集電方式の違いについてですが、第三軌条の銀座線とパンタの京浜は相互直通の計画がありました。
御堂筋線は当初から地上区間ではパンタで集電し、地下区間ではパンタを折りたたんで走行すると
いう考えがあったため、トンネル(つまり建築限界)が少し大きめに作られています。10系が全国の
第三軌条の地下鉄車両で初の冷房車になれた理由の1つでもあります。
1つ上の投稿の最終部分は誤解を招くかも知れんので、
「御堂筋線は当初から地上区間ではパンタで集電し、地下区間ではパンタを折りたたんで
第三軌条で集電するという考えがあったため」
と書き換えておきます。
1週間前に放送された下記の番組の一番最後の部分で、自分がコマルスレやこの掲示板などで
散々言ってきたことが解説されてますね。33分40秒過ぎからです。
磯山さやか:ちょっと不思議だなって思うことがあって、この山手線の中、
内側っていうところに、私鉄?がなんか走ってないなっていう。
ナレーター:確かに不思議なくらい、輪の中には私鉄が走っていません。
磯山さやか:そうだよね。西武鉄道もそうですよね。西武新宿、高田馬場行くけど
寄り添ってるんだ。中じゃなくて。
ダーリン
ハニー吉川:山手線と仲良く。五反田。ここも実は山手線があって、その上の所まで、
高架までは作ってるんですよ。もっと先行きたいぞって言う。
でもその先はなかなか進めなかった。
1888年にですね、日本初の都市計画法、東京市区改正条例という、これのが公布されましてね。
で、これ東京市内に敷設する鉄道にはですね、これ道路交通を妨げないようにと言うことで、
これ高架、上ですね、もしくは地下、の立体交差を設けるっていうのが、これ義務付けられたんですよ。
ですから山手線の内側に、こう延伸をいろいろですね、計画したんですけども、
まぁ、この立体交差を作るための、この莫大な費用がかかってしまうので断念することになってしまいまして。
有吉木曜バラエティ
【有吉の大考察 後編】150年の歴史!「JR山手線」を徹底解説!
テレビ東京
7月25日(木)放送分
配信終了まで1週間以上
https://tver.jp/episodes/ep1mandmpe
ちなみに前編はこちら
https://tver.jp/episodes/epppa96ue4
今日で配信終了かと思ったら、1週間以上先までOKみたい
京阪梅田線も地下や高架での建設が求められたのも同じことです。
神戸では阪神も阪急も地下で建設するように言われていましたが、省線高架後に阪急は寄り添う形で高架を作っています。
wiki「阪急神戸本線」より引用
阪急が工費や地下構造物の問題から高架での三宮乗り入れを希望したが、神戸市会(現在の神戸市議会)が
市内に乗り入れる鉄道路線は地下線とする原則を崩さなかったため工事が遅れていた(「阪神急行電鉄#三宮
高架乗り入れ騒動」の項目も参照のこと)。結局、省線(現在のJR神戸線)が三ノ宮駅付近を高架化すると
市会は高架化に対する容認論に傾き、1936年に現在の神戸三宮駅(開設当時は神戸駅)までの開業に漕ぎつ
けた。三宮乗り入れ後、西灘駅(現在の王子公園駅) - 上筒井駅間の旧線に関しては、支線の上筒井線として
1940年の廃止まで90形単行による折り返し運行が行われた。
wiki「阪神急行電鉄」より引用
神戸線の敷設に際し、当初は市街地を離れた上筒井をターミナルとする予定はなく、三宮への乗り入れを計画
していた。しかし、阪急が高架線での乗り入れを主張していたのに対し、神戸市では市街が分断されるとして
地下化を主張、沿線住民による高架線反対運動もあって交渉が暗礁に乗り上げていたため、上筒井を暫定ター
ミナルとして開業させたのである。
神戸市では、同じく市街を地上線で通っていた東海道本線・阪神本線についても、地下線にするよう要請を出し
ていた。このうち阪神については、市内に存在する併用軌道を高架化で解消しようと考えていたものの、市の要
望に応じて地下線への計画変更を承諾した(1933年に実施)が、東海道本線については鉄道省が費用が倍になる
ことを理由に難色を示し、結局1931年(昭和6年)に高架化が実施された。
阪急では東海道本線の既成事実も上げて粘り強く交渉を続け、神戸線開業から13年たった1933年(昭和8年)、
ようやく三宮高架乗り入れに関して神戸市会の承諾を得ることができた。これに伴い工事が開始されることになる。
市区改正
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%8C%BA%E6%94%B9%E6%AD%A3
>大阪市:1887年(明治20年)に大阪市区改正方案取調委員会が設置され、市区改正案が作られたが、
>実施に至らなかった。その後、(任意事業により)路面電車の開通に伴う道路拡幅が実施され、条例
>準用後の1918年、メインストリートの御堂筋を含む路線の計画が決定された(1937年完成)。
>神戸市:1914年に市区改正調査委員会が設置された。
上筒井駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%AD%92%E4%BA%95%E9%A7%85
wiki「上筒井駅」より引用
阪急では神戸本線を建設するに当たって、1919年(大正8年)に地下線での建設を条件に鉄道省線三ノ宮駅への
乗り入れを認可されたが、同社は工費がかかるとして高架線での建設を主張し、都市計画の問題から神戸市との
間でしばらく対立することになった。
そのため、当面三宮方面の延伸は実現しないだろうとして、とりあえず神戸市の山手東端であって神戸市電布引
線が通じていた上筒井に、神戸駅の名で暫定ターミナルを設けることにした。これにより、1920年(大正9年)
に梅田駅から当駅までの間で営業を開始した。
(中略)
その後の交渉の結果、省線三ノ宮駅まで高架線で建設できることになり、1936年(昭和11年)にようやく(新)
神戸駅(1968年(昭和43年)に三宮駅と改称)まで進出を図る。この時、(旧)神戸駅も上筒井駅へ改称して
残ることになり、新旧線の分岐点に西灘駅(現・王子公園駅)を設けて西灘 - 上筒井間の折り返し運転とした。
しかし上筒井線という盲腸線の終端となった上筒井駅の利用客は伸びず、1940年(昭和15年)に廃駅となった。
廃止直前には、西灘 - 上筒井間が単線になるとともに、駅配線は1面2線へ縮小されていた。
東京の地下鉄では多くの路線が自前路線としては「ほぼ都心部だけ」で完結する形になっています。
これは私鉄が自社路線で都心部まで乗り入れていないことの「裏返しの現象」とも言えます。
他方、東京以外の地域では、地下鉄が自前路線のまま郊外まで路線を伸ばしていることが多いです。
従って東京以外では、私鉄が自社路線のまま中心部まで乗り入れているのと同時に、地下鉄が自前
路線のまま郊外まで乗り入れているため、異なる事業同士による「相互乗り入れ」に頼らずとも、
1社局の路線だけで郊外と中心部が結ばれている場合が多いということになります。
例えば、御堂筋線は明らかに阪急のテリトリーから南海のテリトリーを結ぶ鉄道です。
御堂筋線は江坂〜なかもずで24.5kmです。阪急テリトリーの最南端である梅田と
南海テリトリーの最北端である梅田は4.1kmしかありません。
これに対して東京メトロ千代田線は、綾瀬〜北綾瀬を除くと21.9kmの路線ですが、
小田急のテリトリーから常磐線のテリトリー(北千住)に行くまで19.3kmもあります。
東京では地下鉄が中間に来る3社以上の乗り入れが盛んと言いますけど、メトロの直通路線
では最も短い半蔵門線でも16.8 kmあり、これは御堂筋線で言えば梅田〜新金岡に匹敵する
距離になります。一般的な大阪人の感覚であれば、梅田〜新金岡は相当な距離に感じられる
のではないでしょうか?
東京メトロでは少なくともその距離を通り過ぎないと、相手方の路線には行けません。なお、
西武から副都心線に直通する列車は、それより短い距離しか副都心線を走りませんし、また
東急側から見ると「池袋の時点」で相手方のテリトリーに入る形になっています。
なお、都営地下鉄の泉岳寺〜押上は11.4kmであり、御堂筋線で言えば梅田〜長居くらいの
距離に相当します。
大阪の人と首都圏の人は、過去に記したようなことも含めて距離の感覚がかなり違っていると
思います。
かつて同じことを言っておりますが、関空は遠い遠いと言われていますが、新今宮~関西空港の
南海の最速特急と日暮里~成田空港の京成の最速特急を比較すると南海の方が所要時間は短いです。
京成は新路線を作って最高速度160km/hで走ってようやく最速36分です(つまり東京都心から
成田空港は、大阪中心部から関空よりもずっと遠いです)。
なお「ラピート」は運行開始当初ノンストップで運転されており、難波と関空を最速29分で結んで
おりました。
話が変わりますが、新大阪駅に付いても中心部から離れているなどと言われます。自分からすると
新大阪は万国博覧会の頃、周辺はまだほとんど開発されていませんでしたが、主に昭和50年代に
急激に発展し、ほぼ今の姿に近づきます。昭和60年代以降も発展が続いています。
更に言うと、新大阪のみならず西中島~江坂~千里中央にかけても同じ頃に大発展しました。
ゆえに新大阪界隈自体も「大阪の中心部の一角」を成すようになったと思います。
もちろん、このような発展があったとしても、梅田や淀屋橋、本町を中心とした地域には及ばない
かと思われます。
それを踏まえて申し上げますが、東京では東海道新幹線の停車駅である東京駅周辺や品川駅周辺は
ズバリ中心部と言える地域にあります。しかし、東京の中心部の面積は大阪の中心部の面積よりも
はるかに広い訳です。
新大阪から梅田までは御堂筋線で3.5km、本町は5.7kmあります。しかし大阪では本町かその界隈
(堺筋本町や心斎橋あたり)まで行けば、一旦、中心部と言えるような場所は終了になる訳です。
一方で東京では、東京駅あるいは品川駅から3.5kmないしは5.7km以上離れた場所でも、
まだまだ「中心部」が続いています。
例:品川~渋谷=7.2km、品川~新宿=10.6km、
東京~新宿=10.3km、東京~池袋=8.7km
用事が東京駅や品川駅の周辺や近くだけで済む場合もあろうかと思いますが、東京は中心部の
面積が広いため、出張先に行く場合などは、すぐ上で書いたように新大阪~梅田や本町以上の
距離を移動する場合もある訳です。むしろそのような場合の方が多いかも知れません。
(東京駅や品川駅に近い「都心部」よりも離れた「都心部」方が面積的にも広いため)
大阪人の「遠い」とか「面倒臭い」というタイプの発言は、東京の人からすれば、
ほとんど「大したことがない」ものばかりではと思います。
117の7行目でありますが、
「自分からすると」と書いた部分は、
「自分が見た範囲では」或いは「自分が知る範囲では」と読み替えてください。
地方に行けば、その県や市を代表する駅の前しか発展していないところはいくらでも
あります。自分は何度も大阪は御堂筋(東西方向で言えば四つ橋筋〜堺筋)くらいしか
発展していない、或いは御堂筋で完結するくらいの都市規模しかないと言っていますがけど、
東京よりも小さくて名古屋よりも大きい都市であれば、普通考えるとそうなるのではない
でしょうか?
以前にも書いているように、大阪は京阪は近鉄標準軌路線が中心部に乗り入れたために
より一層、御堂筋線に集中する形になったと考えられます。
東京は中心部が満遍なく発展するくらいの大都市だと言うことです。
名古屋は名駅から栄くらいが最も繁栄しているかと思います。
大阪(の特に中心部)は御堂筋ばかりに集中していると言ったって、首都圏の多くの路線と
比較すれば、各駅の乗降客数、各駅間の利用者数、混雑率はそれらよりも少なかったり
低かったりする訳です。
例えば各線総計の大阪/梅田駅の乗降客数だって、新宿、渋谷、池袋よりも少ないです。
以前にも書いているように、直接接していない私鉄同士を移動する場合などは、運賃が安い
JR環状線が使われることもあります。
谷町線22系22612F 2023年4月入場
2023年8月下旬出場
22613F 2023年8月入場
2023年12月下旬出場
22614F 2024年4月入場
2024年8月下旬出場
22615F 2024年9月入場
2025年1月中旬出場
22616F 2025年1月入場
2025年5月中旬出場
22617F 2025年5月入場
2025年9月中旬出場
22618F、22619F更新工事して23系
23668F 、23669Fに改番して四つ
橋線に転属または廃車
22655F~22663F 更新工事せず
廃車
四つ橋線23系23614F 2023年6月入場
2023年10月下旬出場
23615F 2024年2月入場
2024年6月中旬出場
23616F 2024年6月入場
2024年10月下旬出場
23617F 2024年10月入場
2025年3月初旬出場
23618F 2025年3月入場
2025年7月中旬出場
23619F~23622F 更新工事せず
廃車
中央線24系 谷町線22系転属
24603F 2023年10月入場(大阪車両) 2024年2月初旬22653Fに改番 谷町線に転属
24604F 2024年1月入場(森之宮) 2024年4月中旬22654Fに改番 谷町線に転属
あくまでも予想です
大阪メトロ新20系は現在更新工事を行っていますが、谷町線22系の2022年9月の22611F、四つ橋線23系の2022年10月の23612Fの更新工事で一旦中断しており2023年1月下旬なっても更新工事が進捗しておらず、2月になっても更新入場しない言うこととなると同型の更新工事は打ち切りとなり廃車の方針に切り替わる可能性もあります。
谷町線22系 未更新編成
22612F~22619F、22655F~22663F 17編成
四つ橋線23系 未更新編成
23613F~23622F 10編成
全編成が更新工事を施行しないと言うことになると更新工事を待たず廃車になる可能性があります。
そうなった場合 谷町線 22系22651F~22654F 30000A系32651F~32660F 1200系(仮称)1206-01F~1206-06F
四つ橋線 23系23606F、23653F、23654F、23657F 1300系(仮称)1306-01F~1306-06F
いつ更新工事を再開するんでしょうか?
すみません。部外者ですので分かりかねます。
まったく同じスレは立てないで下さい。
大阪メトロ谷町線22系と四つ橋線23系の更新工事について
前述でお伝えした通り大阪メトロ新20系の原型編成は谷町線で17編成、四つ橋線で10編成です。
谷町線では2022年9月施行の22611F、四つ橋線では2022年10月施行の23612Fで中断しています。2月になっても更新工事が施行しない場合は更新工事を待たず打ち切り又は廃車の可能性もあります。
誰か詳しい人教えて下さい。