花火は茜について
「茜先生は自尊心が満たされてる(から男に嫌われてもへいちゃら)が、
自分はそうでないから他者の評価に依存する」といっていたり、
茜自身も
「自分のことが好き過ぎるのかもしれません」
「他人を本気で好きになることが無い」とナルシズム的な態度をとるが
本当は自尊心が低いのは、麦や鐘井相手に後半で自虐的になったり
鐘井に「何で私なんかのことが好きなの」と涙をこぼしながら言うことでわかる
「女」「先生」という役割を演じて
とくに「女」として他人を傷つけても憎まれても平気なのは、乖離してるからだろう
本体の自分とは別人みたいなものだから、そこで何が起きても冷ややかで、鈍感になっている
そういう構造を作るのは愛されなかった自分の本体(過去)が辛いからそれに耐えられるように、
ということになる
他人の男を奪うことに一時的な刺激を感じるというのは、
ひたすら「他者の欲望」を欲望しているだけであって、自分の真の欲望が育っていない、
もしくは感知できないことでこれが当事者意識の無さなのかもしれない
愛情(独占欲)とみえるものを片っ端から略奪することで、愛の感覚を取り戻そう
としているが、むなしく終わる
それは本当に自分の欲したものではないから常に満たされない
茜が必要としていたのは、壊れた土台の部分、もっと遡った家庭的な親の愛情だった
「自分を役割に押し込めて、本当は子供みたいに自由を求めている」
というのが本人と麦独白で何回か出てくるが、役割(束縛)をあえて侵犯することで
自由の感覚を味わいたいのか、
新しい役割が新しい世界(体験)を導いてより自分を自由にするといいたいのか、
これはわからない
茜が自己懐疑に陥ったのは、エロスの欠如がきっかけ
鐘井先生との交際を始めたのに、鐘井がセックスに消極的だった、
鐘井がエロス的な恋愛感情(独占欲)を見せないから、それを「搾取する」こともできない、
そこで「調子が狂った」茜は、熱海旅行でその愛の正体を確かめようとした
茜はそれが(自分が無意識に求めていた)家族的な愛情だと知って、
自分が隠していた否定的自己をさらけ出し、涙して鐘井を受け入れる
強烈な印象のシーンだが、作品的にはここまでは脇道だと思う
おそらく本当に重要なのはその次
鐘井「欲望は止まらなくなります。それが大切な相手をいつか傷つけるんじゃないかって」
茜「それは違うわ。きっと。欲しがって、欲しがって、目一杯傷ついても、それがきっと
特別な傷なら、強くなれるから」
茜はいまや家族的愛情によって自己を取り戻し、次の段階(エロス的恋愛)に進んだ。
愛情期待は、相手には重荷になり、その期待が裏切られたとき相手に対する失望や
憎しみに転化する、それを恐れて、「大切な相手」にはそれを避ける、と主張する鐘井に対して、
茜は、そうではない、独占欲と愛情期待によって思い切り傷ついても、
それは「特別な傷」であって、私(もしくは二人の関係)はもっと強くなれるのだから、という
ここは、「特別」が肯定的に用いられた数少ない例で、つまり茜はそれがあるべき
エロス的恋愛だといっている
この茜のコトバこそ作品の中心的なメッセージだと思える
エロス的恋愛にあってはお互いの傷や破壊は必然であり、それを避けようとすれば、
かえって関係は後退するということ。
この結論のために鐘井と茜というトリッキーな脇役は召還されたのではないか
なるほど
じゃあ茜先生は麦が言うように変わってしまってもう浮気とかしなさそうだな
本懐age
>>944
さっぱりわからん
もっと詳しく書いてくれ
クズの本懐の言いたいことはただ一つさ
過去を愛して前を向いて未来へ進め
はいにょろ〜(´・ω・`)
あなたのことはそれほどの主人公に比べたら茜先生はだいぶマシに思えてくるなw
モカの場合も同じような事になってる
幼稚な自己愛の世界でお姫様・王子様の幻想に浸っていたモカは、
麦とのデートのとき、その先に進もうと一歩を踏み出してベットへ。
それまで、モカの片思いを、麦は恋愛で答えはしないが突きはなしもせず
それなりに尊重して受け入れていたのだから、二人は奇妙な恋愛未満の「両思い」だった
麦は、ベットでモカのブラを剥ぎ取ってちっぱいを観賞するものの
股間を開いて挿入するときになって、セックスを中断する
モカは、それを見て別れを決意し、最終的に麦のもとを去る
麦(セックス中断)「ごめん」
「でもそれでも俺、モカが大切なんだ。それは本当なんだ・・・」
モカ 「わかってるわ、そんなこと
麦の中で十分私は『とくべつ』よ」
「特別で不可侵な触れない飾り物よ」
「私は触れてほしかった
めちゃくちゃになったっていい 汚れたっていいから
麦と同じ世界に生きたかっただけよ
それがかなわないなら、そんな「特別」なんて
・・・もう、いらないわ・・・」
この台詞でモカは立ち去る
独白部
麦独白
「汚せないのは自分のため 割り切れないのも自分のため
自分自分て そればっか」
モカ独白
「「いらない」と 捨ててしまえないのは 執着の証?」
「どうして・・・ こんなもの
いらないのに 何の役にも立たないのに」
「違うの それだけが今まで私を支えてきたの
そんなことが・・
宝物だったの」
それまでモカと麦は「恋愛」ではないが、お互いに「特別」で大切な存在だった
しかし、そんな「特別」には意味が無いと否定的に扱われている
「めちゃくちゃになったっていい」から
お互いのこれまでの世界を破壊して 「同じ世界」を担わないと
正しい意味での特別(恋愛)にはなれない
破壊の媒介は、エロスという一種の暴力
麦の「自分のため」「自分自分てそればっか」というのは
もし相手を破壊すれば二人の関係も破壊され、自らも変わってしまう、
そのことに対する臆病さとすれば、
麦の後の決意「相手を変えるためにはまず自分が変わる」>>904に通じるものがあるし
麦がモカに挿入できなかったシーンは、花火が濡れず麦とセックス
できなかった(本当の恋人に意図してなろうとしても、体はそれに逆らった)
場面と同じような意味になりそうだ
エロスという、自分でもコントロールできない内なる暴力に世界を破壊される
ことに怯え、「恋愛」から逃げ回る人々が、報復されていくストーリーになっている
先に進めないのは、それまでの自分への執着であるが、執着が生まれるのは
「宝物」がそこには確かにあったからなのだ
次スレ(アニメ2)
クズの本懐 11 [無断転載禁止](c)2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/anime2/1493132151/
>>954
おつ
クズの本懐age
なんか終わってからずっと長文でダラダラ語ってるやついるな
>>954
落ちてたから立て直しておいた
クズの本懐 11 [無断転載禁止](c)2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/anime2/1493250864/
>>958
乙の本懐
円盤2巻出てたな
クズの本懐age
長文ニキがんばって埋めてくれ
クズの本懐age
よいアニメでしたよね
フジにしては近年まれに見るいいドラマ
ドラマは,、茜先生が花火に 「幸せ、つかみなさいよ」などと善人ぶった説教おばさんに
なったり、「人はそう簡単に変わらないし、私はいまも打算まみれで〜」などという
旅館の独白(漫画アニメ)を、いきなり麦に向かって言い出したりと、改悪が多くて、
つまり全体的に昼ドラ化が激しく、いま見てもストレスたまる
モカの最後の「宝物だったの」「・・・もう、いらないわ・・・」 のとこ、アニメではちゃんと
涙目ショットがある
ドラマではここも改悪されてて、ベットの場でモカの航空券から嘘をついたことを
麦が発見、そこでもめて二人とも着衣のまま「麦、して」「・・・ゴメン」と断る
セックスシーンほぼすべて削除のせいで、のっぴいならない肉体の拒否が描かれず、
冷静に、相手の嘘をきっかけに立て直した理性で拒否したみたいになってる
ここは股間まで開いたのに、ちんぽ入れられない、それだけどうにもならない無意識に
束縛されて身動き取れない、というジリジリする場面なのに、台無しだ
アニメでもいまいち薄れていたヒロイン涙目については
まず茜先生の涙目ショットは、麦が別れ際、
「弱くてずるい女だった時の先生のことが好きでした。
例えあなた自身が忘れても、僕は決してその頃のあなたを忘れない」という台詞に対して。
これを聞いて目の下を赤らめ、僅かに涙目。
ここアニメではかなり、ドラマではほとんど省略されて茜先生の感情はわからない
花火は作品最後のひとりで歩き出す顔が上向きで涙目だが、アニメでは省略されているので
出会えてよかったのシーンになる
ヒロイン涙目の意味は
執着していた過去の世界との決別の瞬間で
「その世界は 意味はなかったが、価値はあった」 と自他に確信される時みたいだ
「意味はなかった」というのは、そう見なさないとそれを捨て、先に進めないから。
にもかかわらず、「価値があった(=宝物だった)」というのは、それこそが昨日までの
自分を創ってきたから
その過去の肯定こそが、過去を捨てて変化する勇気になるという構図なのは
麦の独白を見ればわかる
意味の無いクズ的過去ですら、自他によって承認された、だから変化をも恐れる必要は無い
変わっても肯定されるだろう、という信頼みたいなもの
モカは、「そんな世界は要らない」「それこそ宝物だったこと」を同時に痛感して涙目になる
茜先生は、新しい人生に踏み出そういう瞬間、麦によって、クズとしての過去も
「愛されるべきもの」「あの頃のあなたを決して忘れなません」として肯定された
それが茜先生にとって、過去への肯定的なオマージュになった →涙目
花火は、一人で歩き出す作品全体のラストショットが重要な上向き涙目だが
ここはアニメで省略されてるので、
「私、麦と出会えてよかったなあ」と涙を浮かべるショットがそれにあたりそうだ
その直前、「あの日の約束も、積み重ねた日々にも何の意味も無かった」と言い切っている
何の意味も無かった(と今、はっきりみなさなければいけない)にもかかわらず、
麦と出会えた日々は本当に良かった(価値がある時間だった)と結論される。
いずれも、たいへん切ない、キメの場面だと思う
ここは、ドラマでは「意味が、なかったのかなあ」などとボヤキに代えられてるが、
どこのボンクラが脚本かいてるのかと思った。重要なのは決然たる態度なのに
長文ニキ、もう少し分けて書いてくれればすぐに埋まるのに…
この長文って自動生成なの?
クズのage
このスレまだあったのか、早く梅
本懐age
2巻出たぞ
クズの本懐age
クズ本買いウメー
3話くらいで見るのやめっちゃったな
クズのage
おっぱいうめ
ドラマの脚本に納得できない
>>982
最終回の最後さよならするまでの演出はドラマ版のほうが好きだけどな
アニメはちょっとまとまりがなかったかなと
本懐age
アニメの安藤監督が回想シーンやモノローグの時系列的な入れ子が多いので
色使い構成で区別できるようにしたって3巻オーコメでいってたけど
たしかに最初はわかりにくいところもあった
そうはいってもドラマは全体として花火の性格のせいで何か本質が
変わってしまっているようだ
記念カキコ
クズの本懐age
おっぱいうめ
クズのage
推しの子もアニメ化するべき